50年前の母のことⅡ
叔母「まあ、お互い大変ね」
叔母「ケンちゃんは中学生になったの?」
母「そうなの、中学になってから水泳部に入った
為、朝から晩まで泳ぎっぱなし」
母「朝授業の前に朝練して、授業中は寝てばかり
だから’睡眠クラブ’なんて言われているの」
祖母「あら、面白いわねスイミンクラブなんて
でも寝る子は育つっていうじゃない」
母「何言ってるのよ育つのは口ばっかりで、生意
気盛りを謳歌してるようなものなのよ」
母「それに2時間目が終わると早弁(早くお弁当
を食べること)してまた寝てお昼には購買でパン
を5つも買って食べるのですって、担任から言わ
れた時には顔から火が出そうだったわ」
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さてさて、フクションはこのくらいにして、話を
銀座三越7階のファミリーレストラン「ライオ
ン」にもどすと、私はあまり美味しくないチキン
ライスを後で楽しみにしている卵焼きを夢見なが
らやっと食べ終わっていた。
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当時は巨人、大鵬、卵焼き時代真っただ中だ。
あまりピンとこない人はご両親聞いてみれば
すぐに待ってましたと解説してくれるはずだ。
ここでこの中野の叔母さんと2度と会わなくなっ
た大事件が起きるのである。
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叔母「あ〜らこの子は 卵焼きがキライなんだ
残すならもったいないので叔母さんが食べてあげ
るね」っと言い終わらないうちに手で私の大切な
卵焼きをまるで猛禽類が獲物を捕まえるがごとく
摘んだのだ、そして、そして事もあろうに一口で
オレの卵焼きを頬張ったのだ。私は幼いながらも
人生で初めての絶望というものを覚えたほどだ。
下を向き唇を噛み締め、足をバタバタと動かして
いた。 すると叔母は
「ケンちゃんがおしっこに行きたいって足をバタ
バタしているよ」
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私「・・・・・・。」
*この話はほぼフィクッションです
母と妹と、これは私が小学生だったと思う。
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