50年前の母のこと
高崎から一般道を通って17号を南下し大宮市内
を抜け豊玉陸橋から環状7号線に入り青梅街道を
目指し中野本町の交差点を右折し叔母さん宅ま
でいつも母1人で運転をしていた。はじめの頃
私は助手席に座っているのだが、そのうち段々
飽きてきて後ろに移動する。当時はシートベル
トをしなくても良かったし、無い車もあった。
もちろんコンビニもなくドライブインすら無い
次第に「つまらない」「おしっこ」「喉乾いた」
「お腹が空いた」というようなワガママのオン
パレードが延々に続く。母はいつも帰りに三越
に寄って行くから今は我慢しなさいと私を諭し
ていたような気がする。
〜〜〜〜〜
その日は、お約束の銀座三越7階のレストラン
で叔母さんと母と私とオムライスを食べていた。
3人でオムライスを食べるのは、これが最初で
最後なのは間違いない。
〜〜〜〜〜
私は好きなものを最後に取っておいて、その他
の物を全てたいらげてから食べる習性があった
この日も例外なくオムライスの上に乗っかって
いる大好きな卵焼きを銀色のカネ皿の隅っこに
キチンと畳んで後で楽しんで食べようと先にケ
チャップで色付けしたほとんどチキンの入って
いないチキンライスを我慢して食べていた。
〜〜〜〜〜
その時、母と叔母さんは確か子供の偏食につい
て話していたような気がする。
叔母「うちの子は好き嫌いが多くて困った」
母「健一は好き嫌いが無いのはいいけど、、
大食いで1日4食も食べるのよ」
祖母「あら、その方がいいじゃない、好き嫌
いがあるとアレがやだ、コレもやだって夕食が
面倒で困ってるのよ」
母「うちは米がなくなるのが早くて、、、」
〜〜〜〜〜
続く
これは本当に当時の母の写真です。