小さい頃
少年はお風呂があまり好きではなかった。
なぜかって、、
昔の商売屋は決まって大家族だった。年寄り
夫婦がいて、その まだまだ若い者には負け
ないというような意気込みが、どこの商売屋
の親方にもあって簡単に引き継ぎをさせない
のだ。だから若大将はいつも祖父の陰に隠れ
て何をするにも子供に爺さんには黙っていろ
よ、てなことを言っていた。それもそのはず
店番を放ったらかして子供と映画に行ったり
ダンスホールに行ったりしていたのだから、、
当時の映画は「あいちゃんは太郎の嫁になる
」「青島要塞爆撃命令」だったような記憶が
あるが、そんなことより終わって帰る道中、
決まって自宅の100m手前で車から降ろされ
1人で歩いて帰った。一緒に出かけたのをバレ
ないようにだ。そのチームワークは今流行り
の「万引き家族」に引けを取らないくらいだ
った。そんな若大将もしつけには結構厳しく
何か身だしなみというものにこだわっていた。
当時はまだどこの家庭にも風呂があるわけで
はなく大半は銭湯に通っていた。少年の近く
には「天狗湯」というのがあって一日置きに
家族全員で行っていた。二日に一度というこ
ともあり、すぐに出てはもったいないという
感情も若大将には働いていたのかも知れない。
熱くてすぐに出てしまう少年に少しでも温ま
るようにという思いから必ず課題を出してい
た。それは、俳句や古事を暗記しろというも
のだった。百人一首から始まって虞美人草な
どもあった。特に覚えているのは「人の一生
は重荷を負うて遠き道をゆくが如し、急ぐべ
からず不自由を常と思えば不足なし、心に望
み起らば困窮したる時を思い出すべし、堪忍
は無事長久のもとい、怒りは敵と思え、勝つ
ことばかり知りて負けることを知らざれば害
その身に至る、己を攻めて人を攻めるな、及
ばざるは過ぎたより勝れり」徳川家康の遺訓
だ。何日かに分けてだが、これを覚えるまで
お風呂から出してくれないのだから、少年は
当然に若大将と行くお風呂が嫌いになった。
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