どちらが先か?
先日18日はゴールドウィンの展示会の日だった
私はノースフェースのサミットシリーズの担当
だから来年22S製品の試着報告に行ったのだが
毎回高崎から新幹線に乗って東京まで行ってか
ら山手線で新橋まで行き、ゆりかもめに乗り換
えて東京ビックサイトまでいく、
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何時もは何処に行くのも車が多く音楽を聴きな
がらの移動になるのだが、電車に乗るこの時は
ここぞとばかり本を用意して、いざ乗り込むの
だが、景色が気になったり、ちょこっとゲーム
をなんて考えているため、しっかりと読んだこ
とは一度もない。
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しかし今日は違った、チラッと見た雑誌に吉田
松陰が処刑されたのが29歳の時だったと書いて
あったことが妙に印象に残り、調べてみたくな
ったのだ。
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吉田松陰というとすぐに松下村塾を作った人と
いう印象が強いのだが、実は松下村塾は叔父の
玉木文之進が開き彼の死後引き継いだという。
生まれは長州藩杉百合之助の次男で5歳の時に
山鹿流兵学藩士吉田大助の養子となり以後吉田
を名乗る。1851年彼は東北の旅にでるが藩府
の許可が下りず、待ち合わせに遅れそうになる
となんと脱藩して旅に出てしまう。
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この時の書に旅はよく調べて行くべきか、又は
まずは行ってから現地のことを学ぶべきか?
どちらが先か悩んだという。
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そして、1854年松陰25歳の時ペリーが浦賀
に来航した「東海の眠りを覚ます蒸気煎たった
4杯で夜も眠れず」これは船とお茶を掛けた歌
だけど、松陰なんとこの船で密航を企てるが失
敗に終わり投獄の身となった。
その彼がこよなく愛した言葉「飛耳長目」
古い時代や遠方のことをよく観察する目だ
きっと
現代に通じる感覚を持った人だっただろう。