「おれは穂高に生かされている」 新穂高温泉に入るトンネルの手前に ある「喜楽」という食堂のご主人は 穂高岳山荘の今田英雄さんのお兄さん にあたる人だ。 昭和26年育ての親、今田重太郎さんは 上高地から穂高稜線への重太郎新道 を当時5才の姪っこ紀美子さんの子守をしな がら開通させた。 その後、小さいながら山荘の手伝いを しながら登山道の整備を率先して 行っていた紀美子さんは突然原因不明の 腹痛によって23才の若さでこの世を去った という。 前穂との分岐点に今でも「紀美子平」という 場所がある。 「おれは穂高に生かされている」は生前 重太郎さんがよく言っていた言葉だそうだ。 « 前の記事 次の記事 » コメント(0)