« 無理もないか・・ | メイン | 世に絶対はない。 »
新穂高温泉に入るトンネルの手前に
ある「喜楽」という食堂のご主人は
穂高岳山荘の今田英雄さんのお兄さん
にあたる人だ。
昭和26年育ての親、今田重太郎さんは
上高地から穂高稜線への重太郎新道
を当時5才の姪っこ紀美子さんの子守をしな
がら開通させた。
その後、小さいながら山荘の手伝いを
しながら登山道の整備を率先して
行っていた紀美子さんは突然原因不明の
腹痛によって23才の若さでこの世を去った
という。
前穂との分岐点に今でも「紀美子平」という
場所がある。
「おれは穂高に生かされている」は生前
重太郎さんがよく言っていた言葉だそうだ。
このページのトラックバックURL:http://app.kazelog.jp/t/trackback/14197/27162985
「おれは穂高に生かされている」を参照しているブログ:
コメントは記事の投稿者が承認するまで表示されません。
名前: (必須)
メールアドレス: (必須 / 公開されません)
URL:
この情報を登録する
コメント:
もっと読む
コメント