お習字の時間
今日は邪念が入っているのかな、、
なかなか思うように筆が動かない、、
ヨタヨタしていて集点がない、、
ダメダメの1日、、
これは紀貫之作で
やどりして 春の山辺に 寝たる夜は
夢のうちにも 花ぞちりける
訳は
宿をとって春の山のほとりに泊まった夜は
夢の中でも花が散っていた
〜〜〜
私の心も散っていたのだろうか、、
今日は邪念が入っているのかな、、
なかなか思うように筆が動かない、、
ヨタヨタしていて集点がない、、
ダメダメの1日、、
これは紀貫之作で
やどりして 春の山辺に 寝たる夜は
夢のうちにも 花ぞちりける
訳は
宿をとって春の山のほとりに泊まった夜は
夢の中でも花が散っていた
〜〜〜
私の心も散っていたのだろうか、、
ここのところは細筆が面白く、俳句や短歌を
詠み手の感情を察しながら心静かに書く、、
できないけど、やってみる、、
赤字は先生のお手本、
下手でもやたらと褒めるので、つい木に登る
訳は
春の野にすみれを摘もうと思ってやってきた
私だが、その野に心を惹かれてとうとう一夜
を過ごしてしまったことだ。
山部赤人の作
平城京 聖武天皇の時代 万葉集三期
今年も皆さまには本当にお世話になりました
皆様には感謝の言葉しかありません
来年もよろしくお願いいたします
あと何年この仕事を続けていられるか、最近
ふと不安になりことがあります、物事は全て
無理をして続けてもいいことはありません。
わたしの好きな言葉に「晴耕雨読」という言葉
があります。畑仕事は晴れた時にやればいいし
雨が降ったら無理をしないで本を読めばいい。
〜〜〜〜〜
又私の座右の銘に”人事を尽くして天命を待つ”
というのがあります。 これは
できることは全てやり尽くし、あとは静かに
天命に任せる。 いい言葉ですね
もう行くことはない、、
20年近く前のモンブラン頂上
来年は年頭の挨拶を失礼させていただきますが
皆様においては良いお年をお迎えできることを
お祈りしております。
本当にありがとうございました。
一昨日は今年最後のお習字の日でした
私の尊敬する勅使河原里雪先生に会えるのも
今年は最後、本当に尊敬できる師とは字の綺
麗さだけではなく、人にものを教える、その
考え方、人間としてどう接するか、、いって
みて、してみて、させてみて、ほめてやる、
〜〜〜〜〜
授業をお受けているその瞬間はまさに涙が出
るほど幸せな時間です、教えるということは
まさにこのようなことを言うのかもしれない
これはなんという字でしょうか?
分かりますか?
答えは最後に
〜〜〜〜〜
今回は好きなように好きな思いを浮かべて書く
いわゆる 「キャレ文字」
私は「めでたさも中位なりおらが春」が好き
先生が書いてくれた赤丸の中に好きなように
書くのもやってみました
これは「初笑いつられて笑いをはりけり」
お正月楽しいことがあって初笑いを見た時
つられて笑ってしまった、という”風生”作
の俳句です、
台所に貼ってあるのですが、見るたびに
笑ってしまいます、、
〜〜〜〜〜
一番最初の赤い一文字は、私が考える今年
の一文字です、これは今年一年いくつかの
終わりもあり、また出会いというか始まり
もありました、実は当初今年の一文字は
”終”にしようかと考えていました。意味
は終わりというよりは、一つの区切りとい
うニュアンスで考え、一旦区切りをつけな
ければ次に進めないと思ったからです、
でも終わりという字では何か終焉としか感
じられない印象なので、じゃ”続”がいいか
なと先生に相談したら、「う〜ん」続くも
いいけど人生でも一つの区切りの間の”間”
というのはどうかな、と提案を受けた途端
一つの言葉を思い浮かべました。それは
私の好きな落語家先代「桂小文枝」師匠が
笑いは面白い言葉や面白い顔で笑わすんじゃ
ない、言葉の”間”で笑わすのが一流なんだ
という言葉でした。ということで最初の
一文字は”間”です。
あしびきの やまざくら はなびならべて
かくさきたらば いとこいめやも、、
と読むらしい。 作者は山部赤人
「あしひきの山桜花日並(けなら)べてかく
咲きたらばいと恋ひめやも」
〜〜〜〜〜
内容は
あしひきの山の桜花が何日もこのように咲く
のならどうして待ち望むことがあるだろう
〜〜〜〜〜
「あしひきの」は「山」にかかる枕詞。
歌の内容はそんな「あしひきの山の桜花が何日
もこのように咲くのならどうして待ち望むこと
があるだろう」と、待ち望んでいた満開の桜花
に出会えた喜びを詠うと同時にまたすぐに散っ
てしまうだろう名残惜しさも訴えています。
わずかな期間に咲きほこり、潔く散っていく桜
花に心を惹かれるのは現代人だけでなく万葉人
も同じだったのでしょうね。
万葉集では桜よりも梅の花のほうが多く詠まれ
ているとよく指摘されますが、実際にはこの歌
のように桜を詠んだ歌も多く、単に「花」と表
現されている歌の中にも桜のことを詠っているも
のがあるのだとも言われています。
<出典 万葉集辞典>
そう言えば、今日新しい細筆用の雅印ができて
きました。
やはり雅印を押すと締まりますね。
今日は最高の天気でしたが、朝一番で
ぶっ飛び、でもWださんにお野菜をもらい
得した気分で帰って来ました。
すみません 写真が違ってました、、
お昼前にはドクターに足を診てもらい
午後は「お習字」でした。
ドクター曰く、
まさか山に登っているんじゃないだろう
登っていたらなかなか治らないよ、、
あ、はい
〜〜〜〜〜
いつもながら 先生曰く
他人と比べない、誰にも競わない、
好きな字を好きな時に 気持ちよく書くこと
あ〜 今回も人生を教えていただきました。
これは「過ぎたるは及ばざるが如し」
徳川家康の言葉ですね。
何事も「中庸」が大切ですって、、
ちなみに私はこの文章だけは暗記しています。
「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し
急ぐべからず、不自由を常と思えば不足なし
心に望みおこらば困窮した時を思い出すべし
堪忍は無事長久の基 怒りは敵と思へ
勝つことばかり知りて負けることを知らざれ
ば害その身に至る 己を責めて人を責めるな
及ばざるは過ぎたより勝れり」
人の一生というものは、重い荷を背負って
遠い道を行くようなものだ。急いではいけない。
不自由が当たり前と考えれば、不満は生じない。
心に欲が起きたときには、苦しかった時を思い
出すことだ。がまんすることが無事に長く安ら
かでいられる基礎で、怒りは敵と思いなさい。
勝つことばかり知って、負けを知らないこと
は危険である。自分の行動について反省し、
人の責任を攻めてはいけない。
足りないほうが、やり過ぎてしまっている
よりは優れている。
〜〜〜〜
おっと原稿が間に合わない、、今日徹夜だ
アクティブに動けないので、習字のお稽古を
してみました。もうすぐ師走ということも
あり年始の言葉を書いてみたのですが。
賀正、迎春、兎、寿です。
先生に見ていただいたら珍しく花丸が、、
つい褒められると木に昇ってしまうのです。
2枚目は、、
発という漢字の書き順が違っていたのが
いままで気づきませんでした。
先生曰く
長岡さん、習字は流れです、、
一つ一つ途切れず、流れるように滑らかに
正確に書いていくことが大事ですよ。
、、、、。
あれ、 ショートロープ技術や
ロープの結束と全く同じだ、、
〜〜〜〜
ところで、先日から三十年以上住んでいた
自宅の取り壊しをしています。
東京から戻ってきて、しばらく借家を改装
して住んでいましたが初めて建てた家です
今考えるととても住みづらい家でした。
隣に3階の住宅が建ってしまい、朝から午後
3時過ぎまで陽が当たりません。西陽だけ
はよく当たりますが、、 これからは毎朝
起きるとすぐ電気を付けてまわる生活から
オサラバです。
「あしひきの 山どりの尾のしだり尾の ながな
がし夜をひとりかもねむ」 柿本人麿
〜〜〜〜
<私なりの現代語訳>
山鳥の尾の、長く長く垂れ下がった尾っぽの
ように長い夜を(したいこともできず、見たい
映画も見れず)独りさびしく寝ることだろうか
〜〜〜〜
〜〜〜〜
この歌の作者、柿本人麿は、705年ごろに石見
の国司として赴任し、そこで亡くなったといわ
れています。石見の国は現在の島根県の西の端
益田市にあります。益田市は、中世の豪族益田
氏の本拠となったところ。山陰の小京都として
有名な津和野町に隣接し、史跡や名所が数多く
残されています。 <小倉山荘/参照>
柿本人麿ゆかりの柿本神社があるのはJR益田駅
の西ですが近辺には雪舟の郷記念館や雪舟庭園
(万福寺)、県立万葉公園などもあります。
〜〜〜〜
〜〜〜〜
そうだ元気になったら山陰の小京都に行こう!
ということでじゃらん予約を、、
〜〜〜〜
満月十五夜の前日のことを小望月というそうだ
満月のことは望月ともいい、明後日は十六夜月
いざよいつきになる。
ちなみに十六夜月とは「ためらうように遅れて
出てくる月」のこと翌日は立待月「立って待っ
ているとすぐに出てくる月」のこと。その翌日
は居待月「座って待っていると出てくる月」ま
たその翌日は臥待月または寝待月といい「月の
出が遅く、横になって待っていると出てくる月」
と言うのだそうだ。
〜〜〜〜〜
ということで、今日のお題は待宵月と十六夜、
「待宵月とは待つ心」
「花も月も待つ心を尊重することから、十五夜
の月を愛でるあまり、その夜の曇るのを心配し
て前夜の月を鑑賞しておこうと思う」→待宵月
う〜ん いまいち、、