ミシェル・クロとジャン・カレル
イタリア生まれのカレルは
あまりにも独立心が強く
その勝利を他人と分かつことなく
祖国に捧げたい意向だった。
マッターホルンを初登頂した
エドワードウィンパーはこう言って
今まで一緒に試登していたカレルを諦め
やむなくマッターホルンの頂上まで
リードしてくれる別の男を探しにかかった。
ミシェル・クロはシャモニー谷の上流
ル・トゥールあたりで生まれた。
「雪がしっかりしてさえいればどこでも歩けます。
氷であればルートを切り開くことが出来ます。
単に(ガイドの)力だけの問題です。
その力は私にありますので
あなたはついて来さえすればいいのです」
ミシェル・クロがエドワード・ウィンパーに
あったときこう言ったそうです。
またウィンパーも彼に何度かガイドをしてもらい
こう書いてます。
「彼を催促したり、同じ頼みを二度することがなかった
何をどうすればいいか指示をしておけば
不可能なことではない限り、必ずやってくれた」
その非凡な登山能力と氷雪に対して比類のない知識は
ガイドとしてこの上ないものだった。
続く
岡崎様
そうですか 何度もお墓に行ったのですか
私も時々 時間が空いたときなど
近くを散歩しますが・・
邪念の方が勝り
この川には本当に魚がいないのか?
どこのアイスクリームが1番なのか?
などとつい考えてしまいます
投稿: kenny | 2009/11/16 12:11
ミッシェル・クロのお墓には、何度かお参り
したことがあります。
マッターホルンに登った時は、前日と登頂後に
お参りしました。
ジャン・カレルについては、ガストン・レビュファの
山岳映画3部作に出てくる事くらいしか知りません。
イタリア尾根のカレルの碑の前で、客がガイドに「本当にカレルはここで落ちたのか?」の
問いに対し「落ちたのではない!死んだのだ」と
答えたと言う下りが面白くて
今でも時々見ています。
投稿: 岡崎 恭男 | 2009/11/15 12:39