黒岩貸し切り、
久々のクライミングは雨にも降られず、快適な
清々しさの中、楽しく登ことができました。
初めてご参加された皆さん、いろいろ戸惑いも
あったかと思いますが、お許しくださいね。
〜〜〜〜〜
私のモットーは
笑いの絶えないクライミング
小学生だって5.12を登るんです。
みんなだって頑張ってるんです。
でもガイドが笑わせるんです、、
カラスが泣いているので無視です、、
久々のクライミングは雨にも降られず、快適な
清々しさの中、楽しく登ことができました。
初めてご参加された皆さん、いろいろ戸惑いも
あったかと思いますが、お許しくださいね。
〜〜〜〜〜
私のモットーは
笑いの絶えないクライミング
小学生だって5.12を登るんです。
みんなだって頑張ってるんです。
でもガイドが笑わせるんです、、
カラスが泣いているので無視です、、
先日18日はゴールドウィンの展示会の日だった
私はノースフェースのサミットシリーズの担当
だから来年22S製品の試着報告に行ったのだが
毎回高崎から新幹線に乗って東京まで行ってか
ら山手線で新橋まで行き、ゆりかもめに乗り換
えて東京ビックサイトまでいく、
〜〜〜〜〜
何時もは何処に行くのも車が多く音楽を聴きな
がらの移動になるのだが、電車に乗るこの時は
ここぞとばかり本を用意して、いざ乗り込むの
だが、景色が気になったり、ちょこっとゲーム
をなんて考えているため、しっかりと読んだこ
とは一度もない。
〜〜〜〜〜
しかし今日は違った、チラッと見た雑誌に吉田
松陰が処刑されたのが29歳の時だったと書いて
あったことが妙に印象に残り、調べてみたくな
ったのだ。
〜〜〜〜〜
吉田松陰というとすぐに松下村塾を作った人と
いう印象が強いのだが、実は松下村塾は叔父の
玉木文之進が開き彼の死後引き継いだという。
生まれは長州藩杉百合之助の次男で5歳の時に
山鹿流兵学藩士吉田大助の養子となり以後吉田
を名乗る。1851年彼は東北の旅にでるが藩府
の許可が下りず、待ち合わせに遅れそうになる
となんと脱藩して旅に出てしまう。
〜〜〜〜〜
この時の書に旅はよく調べて行くべきか、又は
まずは行ってから現地のことを学ぶべきか?
どちらが先か悩んだという。
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そして、1854年松陰25歳の時ペリーが浦賀
に来航した「東海の眠りを覚ます蒸気煎たった
4杯で夜も眠れず」これは船とお茶を掛けた歌
だけど、松陰なんとこの船で密航を企てるが失
敗に終わり投獄の身となった。
その彼がこよなく愛した言葉「飛耳長目」
古い時代や遠方のことをよく観察する目だ
きっと
現代に通じる感覚を持った人だっただろう。
今日は真竹を使ってメンマを作った。
いつも通りヌカで湯がいて冷えるまで
そのままにしておく、竹の子はスライスして
胡麻油で炒めてからそのまま、中華スープと
醤油、酒、三温糖、を入れて汁がほとんど
無くなるまで煮詰めてからみりんを入れて
て最後の仕上げをする冷えたらラー油を加
えておしまい。これがワインに合うのだ。
もう一つ、真ん中は青梗菜のオイスター
炒めなるものを作ってみたのだが、イケる
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それと今日は習字の日でもあった。
お題は「夏至」一年で日の出から日没までが
一番長い日だが今日は少し邪念が入っていた
ようで素直な字が書けなかったのだ。
行書
次は草書
人と比べない、、、
最後に
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悲しい出来事、、
今年2月にマスクをして持久走していた小学5年
生が突然倒れ病院に搬送後死亡した事件は記憶
に新しいが、このことが報道されたのがなんと
5月の末だったのだから驚きを隠せない、、
とても悲しい出来事だ。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210527/k10013054901000.html
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マスクは
野外で走っているのになぜ必要なのか?
自然の中での登山でなぜ必要なのか?
甚だ疑問だ。
久々のお仕事に張り切ってきました。
諸事情により二子山中央稜を登ってきました。
真ん中の人は、
なんで大汗をかいているのでしょうか?
そして、話は変わって
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今週のお題、「千里同風」とは
遠く離れたところでも同じ風が吹いている様に
国全体が混乱もなく平和である様子を表してる
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1日でも早くこのCOVID-19が収束して皆さん
マスクなしで普段の生活ができる様になって欲
しいものですね。マスコミがどんなに煽っても
私はこのまま行くと7月終わりには目星が見え
いろいろ言われた東京オリンピックも国全体で
応援ができ、9月には収束宣言が出される、、、
と考えていますが、 どうでしょうか?
ちなみに
私は今月25日にワクチンを打ってきます。
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懐かしい昔の写真が出てきた。
この頃の自分が抱いたルートに馳せる思い。
山の小説を読んだり、山岳雑誌をみて沸き
立たつ鼓動を抑えるのが大変だったころだ。
何処も同じ、パートナーを探して放浪の旅が
続いていたのを今でもハッキリと覚えている。
30代の頃 黒部の奥鐘山を攀じる。
黒部川で釣った1匹の岩魚を5人ぐらいで
取り合った思い出、、毎年来るメンバーは
決まっていた。雲表クラブのTくんとは何時
行ってもどうゆうわけか必ず会うことになる。
同じく30代の頃 谷川岳幽ノ沢を攀じる。
ガイビエールのドカヘル、大昔のフレンズ
また、このシャツが 歴史を感じるねえ
というご意見を頂きましたが、、
好きで仕事をしないのではありません、、
私の不徳の致すところですが、、
いろんな試行錯誤しているんですが、、
なかなか難しいのです。
言い訳を言っていますが
いまは仕事にならないのが正しいのです、、
すみません、