ここに泉あり
これは一昨年の9月に書いた
ひとりごとです
今日再放送だと思うのですが
NHKプロジェクトXで群馬交響楽団
のことをやっていました
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夕焼け~こやけ~の赤とんぼ~
追われ~てみたの~わぁ~いつの日か」
山田耕作:作曲 三木露風:作詞
ご存知「赤とんぼ」の一説です。
昭和22年群馬県高崎市に
「高崎フィルハーモニー管弦楽団」
が生まれました。
当時は、なかなか市民に管弦楽と言う
情操教育を理解してもらえず、
どこで演奏をしても赤字ばかり。
その運営は困難を極めました。
そして昭和29年秋、
その努力も報われず、当時遠く
山郷離れた利根村の演奏を最後に、
解散と言う結論に達しました。
楽団員全員涙をこらえ、
一生懸命演奏をしました。
利根村の子供たちは、当時皆、
炭焼きか、木こりしか生きる道が
なかったのです。
もう二度と一生のうちで、
生の演奏など見る機会がない
子供たちの前で、何も考えず
演奏を続けました。
そして・・・
その時の最後の曲はクラシック
ではなく「赤とんぼ」でした.....。
演奏が終わって、でこぼこの山道を
楽団員たちが、無言で歩いて帰って
いくとき、遠く山の向こうで、
大声を張り上げながら、手を振り
「赤とんぼ」を歌う子供たちの
姿が見えました....。
一人の楽団員がポツリ
「俺たちは金儲けのために、
やっているんじゃない。
子供たちに夢を与えてやるために、
演奏をしているんだ。」
この気持ちはいつしか、
東京の山田耕作先生に伝わり、
高崎市や県も理解を示し、数年後、
今の「高崎市民交響楽団」が
生まれました。
この実話物語は、岸恵子主演の映画
「ここに泉あり」になって、
今でもその物語を、ビデオで見る
ことができます。
実はその時、岸恵子さんの
赤ちゃん役で、出ていたのが、
私でした。
今でも岸恵子さんが、おんぶ
してくれた時の写真が、
部屋に飾ってあります。
http://homepage1.nifty.com/Kinemount-P/kokoni-izumiari.htm
ご本人様
コメントありがとうございます
ということはあのピアニストの
ご子息さまですか
何年か前にコンサートにも
行きましたよ
懐かしく思います
投稿: ||kenny|| | 2007/01/21 19:01
元記事からは大分時間が経ってしまっておりますが・・・
他のことを検索しているうちに、このブログに出会いました。
岡田英次さんと岸恵子さんのモデルとなった夫婦の息子でございます。
素通りしてしまうのも気が引けまして、一言ご挨拶まで。
投稿: 本人 | 2007/01/20 22:56
岡崎様
先日のクライミングお疲れ様でした
そうなのです
当時、加東大介さんは高崎にくると
必ず家によってくれました
「ボウ」元気かって
いつも私のことをボウ、ボウ
と呼んでいました
この映画が1955年でその前年
1954年には黒沢明監督の
「七人の侍」に槍の名手として
出ていて、すごく人気があったのを
覚えています
ではまた
よろしくお願いします
投稿: kenny | 2005/12/06 23:38
「ここに泉あり」懐かしいですね!当時中学生だった私にとって、初めてのオーケストラの生演奏でした。 赤とんぼもみんなでうたいました。 何曲聴いたか覚えていませんが、軽騎兵序曲とショパンのポロネーズは今でも忘れません。 この2曲を聴くと当時が思い出されて懐かしいです。 映画も見ましたが、あの赤ちゃんがねー。 分からんもんだー。
投稿: 岡崎恭男 | 2005/12/06 20:11