地図って不思議/推歩先生
神保三治郎18の時に
伊能家の婿養子になる
家業の造り酒屋は
危機的な状態だったが
倹約に倹約を重ね
一生懸命仕事をし
10年間で立て直した
1783年天明の大飢饉
の時は私財をなげうって
地域の救済にあたった
そのことが幕府の耳に入り
苗字、帯刀を許され忠敬と
なのる
やがて50歳になった忠敬は
繁盛している家業を長男に
全て譲り、天文学を勉強したく
江戸に出る
人生わずか50年と言われた
時代にだ
この当時の天文学の第一人者は
高橋至時32歳 古きを重んじる
封建社会において20歳も年下に
頭を下げ弟子にしてもらったのだ
このころの関心事といえば
いったい地球の直径はどの位だろうか
ということだった
オランダの本で地球が丸いのは
知っていた忠敬は「北極星の高さ
を2つの地点で観測し、見上げる
角度を比較することで緯度の差が
分かり、2地点の距離が分かれば
地球は球体なので外周が割り出せる」
と提案。
この2つの地点は遠ければ遠い
ほど誤差が少なくなると考え
遥か蝦夷に行きたくなったが
あいにく幕府の許可が下りない
そこで至時と名目を考え幕府に
手紙を送った
「隠居の慰みとは申しながら、
後世の参考ともなるべき地図を
作りたい」と
忠敬55歳の時である
続く・・・
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