裁判に /ミシェル・クロの続きです
皆さんもご存じのように
シャモニー谷ツール生まれの
名ガイド、ミシェル・クロは
マッターホルン初登頂の際に
常にリードをしウィンパーを助け
成功したのですが、下山するとき
他のロープで繋がれていた三名と共に
崖から転落して亡くなったのです。
その時、生き残ったウィンパーら3名も
同じロープに繋がっていたのですが
ロープが途中で切れ、助かったのです。
当時、何故もっと強いロープを持って
いたのにもかかわらず、その時最も弱い
ロープを使っていたのか?
何故そこでロープが切れたのか?
スイス政府はウィンパー達三人を
予審裁判にかけた。無罪にはなったが
その後しばらく「切れたザイル」
として疑惑を持たれていました。
ツェルマット山岳博物館では今でも
そのザイルを見ることが出来ます。
そして、この報道でツェルマットは
マッターホルンの町として
一躍有名になったのです。
実は来年のカレンダーにマッターホルン
があって「切れたザイル」の事をふと
思い浮かべ話をすると、結構知らない人が
いたので書いてみました。
このロープとピッケルを私も見ました。
私がマッターホルンを知ったのは
高校の英語の教科書にあったウインパーの
アルプス登攀記でした。 ほぼ60年前の話です。 それから47年後にツェルマットに行ったわけですが、山岳博物館でこれを見ることが出来ました。
あの博物館に入ると、私は凄い霊気みたいなものを感じます。 夥しいアルピニスト達の遺品を見ていると、離れられなくなって、しばらくの間外に出られなくなってしまうんです。
あの時、私の中に宿った先人たちの魂が
今の私を登らせてくれているのかも知れない
なんて思うことがあります。
投稿: 岡崎 恭男 | 2009/11/21 11:55