投稿時刻 20:53 ひとりごと | 個別ページ | コメント (2) | トラックバック (0)
避難所において、先生が診療中に
こちらの ご年配の女性としばらく
話す機会があった。
1人暮らしの92歳になるこの女性、
地震があったとき、たまたま近くに
住む妹さんが遊びに来ていた。
その瞬間、テレビが天井近くまで
跳ね上がったという。
うまく歩けない状態のお姉さんを
妹さんが靴をはかせて引きずって
逃げたという。
仲良くなったので、しばらく話していたら
ポツリ・ポツリとその瞬間を語り始めた
昨日まで・・
長男とお孫さんが行方不明だったのだが
つい一時間ほど前、死亡確認が入った
という。
この話を始めると、突然私の手を握り
小さくうずくまって、すすり泣いてしまった。
しばらくして 今日撮った歌津浜の
写真を見せると、こんなにも浜が
壊れて何もなくなってしまったの・・
え! と不思議に思ったが
いまだ電気も水道もガスもきていない
もちろんテレビも見られなければ
新聞も無い
我々が毎日見ているテレビの情報は
全く入ってきていないのだ
ガソリンスタンドは跡形も無いが
下のタンクから手でくみ出して20Lだけ
配給してくれる
投稿時刻 22:34 お知らせ | 個別ページ | コメント (3) | トラックバック (0)
投稿時刻 10:11 | 個別ページ | コメント (2) | トラックバック (0)
このような踏み後/トレースを
危険だと思わないのだろうか・・
私は怖くて、もっと左端を行った
のですが、確かに時間はかかりました。
先日も白馬でガイドが雪崩に巻き込まれて
何とも・・失わなくてよい命が 又・・
話は変わって、先日
ふと 思い出したことがあった・・・
これは計画停電のおかげで、全面運休の
上信電鉄の写真です。
なぜ上信電鉄かというと、1895年設立
当時は上野鉄道と言われていました。
本当ですよ。 なんせ
私の祖父は下仁田出身ですから。
昭和30年代には元総理大臣中曽根康弘氏
のお父さん、こくまつの中曽根松五郎氏
が社長になり、下仁田から余地峠を超え
当時の佐久鉄道/現小海線の羽黒下駅まで
(この駅はいつも私が近道をするところ)
つなげる予定で、上毛と信越を繋げる線
上信電鉄と改名したと、昔じっちゃん
から聞いたことがある。
たぶん あっていると思うが
調べたことはない。
各駅停車しかない、2両編成の電車だ。
そういえば、もうひとつ思い出した。
この上信電鉄は真庭から群馬八幡駅を
過ぎると高崎に入る手前で烏川を渡る。
そう 佐野の鉄橋だ。
この鉄橋の下に大きな池があり そこに
雷魚がいた。
中学生の頃、針に蛙を付けて良く釣った。
そこまでは良いのだが・・
その鉄橋の柱が、池ノ真ん中にあって
そこが絶好のポイントなのだ。
当然、そのポイントに行くには鉄橋を渡り
池の上の柱まで行って、ロープを垂らして
降りなければならない。鉄橋の上はすぐに
ばれてしまうので、鉄橋の線路下を通って
柱まで着たところで、電車が来てしまった。
当時の車掌さんは電車を急停車させて、
「ばかもの!」と電車から降りてきた。
そして 私の胸ぐらをつかむと
「頭を冷やせ!」と池ノ中に突っ込んだ。
もう時効だと思うけど・・・
そんな思いを 頭に浮かべながらウトウト
していたらもう高崎に着いた。
投稿時刻 22:58 ひとりごと | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)