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略してi-nacの非常勤講師として教壇に立って
いますが、今日、明日の二日間で一体何を教
えられるのか、いろいろな講師が幾つもの道
を示したら学生は迷ってしまうのでは無いか
悩むところだ、、
投稿時刻 22:42 ひとりごと | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
昨日のブログは音声を送信して作った
ものでした。型にはまった恥ずかしい
の何物でもないですね。
投稿時刻 08:31 ひとりごと | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
こんな綺麗な夕焼けを見るのは久々だな
秋の夕暮れはなんとも言えない寂しさが
漂う。日中はそれなりに頑張って秋の陽
とは思えないほどの暖かさを届けた太陽
だったがその巡りには勝てず足早に去っ
ていった。それもなんとも言えない夕焼
けという美しい余韻を私たちに残してい
たのだろうか。また明日登る約束をして
投稿時刻 20:30 ひとりごと, エッセイ | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
毎年10月のこの時期になると富山/立山にある
国立登山研修所において山岳遭難救助研修会が
開かれる。定員40名のところ150名近くの応募
が毎年全国からある人気の研修会だ。その内訳
は消防士が25名、警察が10名、自衛官が5名と
なっている、この40名を8人ずつ班に振り分け
各班2人づつ合計10名の講師と主任、副主任を
入れて12名の講師で研修を行う。今行っている
研修に「ガーディアン研修」というものがある。
これは指揮官や講師ではなく研修生が実務と安
全管理の両方を研修するようになっている。本
来の安全対策とは指揮者やリーダーだけがする
ものではなく、研修生全員ができなければいけ
ないものだ、特に技術訓練中研修生ははそれに
集中してしまい周りが見えなくなってしまう傾
向にあるのだ。安全を管理するということは簡
単ではない。内在する危険(ハザード)をどう
評価するか。そしてそれの有効な対策を考え実
行に移せるかが鍵となる。私の責任は重い、、
投稿時刻 15:59 ひとりごと, 講習会 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
10月に沢登りだなんて、、、冷たそう
しかし案ずることなかれ、この沢はこの時
期が最高なのです。まず虫がいない、水量
が少ない、紅葉が綺麗、とくれば行かない
手はないでしょう。考えることは皆同じで
流石に今日の米子沢はほどほど混んでいま
した。以前私が米子沢や割引沢などを本で
紹介した時は駐車場も狭く舗装すらされて
いなかってけど、今日行ったら何倍もの車
が置ける立派な駐車場ができていました。
今日のお客さんは沢登りデビューの方お二
人でしたがゴーロ歩きから始まって、高巻
き、ヘツリ、直登、やぶ漕ぎと全てを網羅
していただきました。さて吉と出るか凶と
でるかドキドキです。
投稿時刻 21:17 ひとりごと, ガイディング | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
一昨日友人の山屋が新潟の沢で遭難死した。
私は母のことがあったので出動できなかったが
とても残念な結果となってしまった。残された
家族のことを思うといたたまれなくなる。
これは昨日の歌だが今一度書くことになった
〜〜〜〜〜〜
世の中を 思へばなべて 散る花の
わが身をさても いずちかもせむ
西行法師 この意味は
〜〜〜〜〜〜
世の中を思えば、すべては散りゆく花のように
はかない。 わが身も思えばはかないものだ。
この身をいったいどこに置いたらよいのだろう。
つまり、私の身の振る舞いはどのようにしたら
いいのだろうか? というような意味だろうか
〜〜〜〜〜〜
母/89歳、3年前の父の後を追うように旅立った
親不孝者の私だったが今回は最後まで一緒にい
られた。
〜〜〜〜〜〜
投稿時刻 22:32 エッセイ | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
ときどき自分の性格が無性に嫌になってくる。
本当に必要な時に、もっともっと時間を大切
にしたいと思う時に何故できないのか、毎日
なんでバタバタと忙しなく動いてるのか、な
んで母親は私をおっとりとした性格に育てて
くれなかったのか。物心ついた時から誰が見
ても理不尽で超わがままな要求を母親にして
きたようだ。
〜〜〜〜〜
幼い時の性格は大人になっても変わらない。
少し前までは相変わらず母の前でバタバタと
落ち着きのない行動が常だった。もしかした
ら、そのように見せたかったのかもしれない。
母親が言う「もう少し落ち着きなさい」とい
う私への戒めも、山に行くたびに母は「怪我
に気をつけるんだよ」「他人様に迷惑をかけ
るんじゃないよ」という言葉も、それを聞い
てどこか安心していた自分がいたのかもしれ
ない。しかし、私の返事はいつもバタバタと
「ハイハイ、わかったわかった」という具合
〜〜〜〜〜
今になって毎日のように母の横でゆっくりと
流れる時間を、ほんのわずか楽しんでいる自
分がいたかと思うと、とても不思議だ。
〜〜〜〜〜
世の中を 思へばなべて 散る花の
わが身をさても いずちかもせむ
西行
〜〜〜〜〜
投稿時刻 15:46 エッセイ | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
少年はお風呂があまり好きではなかった。
なぜかって、、
昔の商売屋は決まって大家族だった。年寄り
夫婦がいて、その まだまだ若い者には負け
ないというような意気込みが、どこの商売屋
の親方にもあって簡単に引き継ぎをさせない
のだ。だから若大将はいつも祖父の陰に隠れ
て何をするにも子供に爺さんには黙っていろ
よ、てなことを言っていた。それもそのはず
店番を放ったらかして子供と映画に行ったり
ダンスホールに行ったりしていたのだから、、
当時の映画は「あいちゃんは太郎の嫁になる
」「青島要塞爆撃命令」だったような記憶が
あるが、そんなことより終わって帰る道中、
決まって自宅の100m手前で車から降ろされ
1人で歩いて帰った。一緒に出かけたのをバレ
ないようにだ。そのチームワークは今流行り
の「万引き家族」に引けを取らないくらいだ
った。そんな若大将もしつけには結構厳しく
何か身だしなみというものにこだわっていた。
当時はまだどこの家庭にも風呂があるわけで
はなく大半は銭湯に通っていた。少年の近く
には「天狗湯」というのがあって一日置きに
家族全員で行っていた。二日に一度というこ
ともあり、すぐに出てはもったいないという
感情も若大将には働いていたのかも知れない。
熱くてすぐに出てしまう少年に少しでも温ま
るようにという思いから必ず課題を出してい
た。それは、俳句や古事を暗記しろというも
のだった。百人一首から始まって虞美人草な
どもあった。特に覚えているのは「人の一生
は重荷を負うて遠き道をゆくが如し、急ぐべ
からず不自由を常と思えば不足なし、心に望
み起らば困窮したる時を思い出すべし、堪忍
は無事長久のもとい、怒りは敵と思え、勝つ
ことばかり知りて負けることを知らざれば害
その身に至る、己を攻めて人を攻めるな、及
ばざるは過ぎたより勝れり」徳川家康の遺訓
だ。何日かに分けてだが、これを覚えるまで
お風呂から出してくれないのだから、少年は
当然に若大将と行くお風呂が嫌いになった。
投稿時刻 20:51 エッセイ | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
叔母「まあ、お互い大変ね」
叔母「ケンちゃんは中学生になったの?」
母「そうなの、中学になってから水泳部に入った
為、朝から晩まで泳ぎっぱなし」
母「朝授業の前に朝練して、授業中は寝てばかり
だから’睡眠クラブ’なんて言われているの」
祖母「あら、面白いわねスイミンクラブなんて
でも寝る子は育つっていうじゃない」
母「何言ってるのよ育つのは口ばっかりで、生意
気盛りを謳歌してるようなものなのよ」
母「それに2時間目が終わると早弁(早くお弁当
を食べること)してまた寝てお昼には購買でパン
を5つも買って食べるのですって、担任から言わ
れた時には顔から火が出そうだったわ」
〜〜〜〜〜
さてさて、フクションはこのくらいにして、話を
銀座三越7階のファミリーレストラン「ライオ
ン」にもどすと、私はあまり美味しくないチキン
ライスを後で楽しみにしている卵焼きを夢見なが
らやっと食べ終わっていた。
〜〜〜〜
当時は巨人、大鵬、卵焼き時代真っただ中だ。
あまりピンとこない人はご両親聞いてみれば
すぐに待ってましたと解説してくれるはずだ。
ここでこの中野の叔母さんと2度と会わなくなっ
た大事件が起きるのである。
〜〜〜〜
叔母「あ〜らこの子は 卵焼きがキライなんだ
残すならもったいないので叔母さんが食べてあげ
るね」っと言い終わらないうちに手で私の大切な
卵焼きをまるで猛禽類が獲物を捕まえるがごとく
摘んだのだ、そして、そして事もあろうに一口で
オレの卵焼きを頬張ったのだ。私は幼いながらも
人生で初めての絶望というものを覚えたほどだ。
下を向き唇を噛み締め、足をバタバタと動かして
いた。 すると叔母は
「ケンちゃんがおしっこに行きたいって足をバタ
バタしているよ」
〜〜〜
〜〜〜
〜〜〜
私「・・・・・・。」
*この話はほぼフィクッションです
母と妹と、これは私が小学生だったと思う。
投稿時刻 21:53 エッセイ | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)