鈍感であれ/
「欲望という名の電車」「赤いトタン屋根の猫」
この作品はテネシー・ウイリアムスが1950年代
ピュリッツアー賞を取った作品だ、1956年には
ニューヨークの路上で偶然三島由紀夫と出会い
交友関係になり数回来日している。彼が作った
戯曲「男が死ぬ日」は三島に捧げられ1957年
英訳出版された「近代能楽集」の中でこの作品
は「西洋能」と副題が付けられた。
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彼の生い立ち/Wikipedia
音楽教師の祖母、両親、姉弟とともに祖父の牧師
館で育つ。靴のセールスマンをしていた父親は留
守が多く、粗野で暴力的、酒と賭博が好きで、病
気がちでひ弱なテネシーに失望していた。両親は
夫婦仲が悪く、喧嘩が絶えなかった。2歳違いの
姉とは大の仲良しで双子と間違われるほどだった。
母親は神経質でヒステリックな人だったが、優し
い黒人の乳母がいて、毎夜いろいろなおとぎ話を
聞かせてくれていた。
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ウィリアムズの家庭には問題が多かった。彼の姉
ローズは恐らく彼に対する最も大きな影響を与え
た。彼女は精神障害で精神病院の中で生涯のほと
んどを過ごし、両親は結局彼女に対するロボトミ
ー手術を許可した。ウィリアムズはこのことで両
親を許さなかったし、愛する姉を救えなかった自
分自身の罪の意識にも苦しんだ。彼の作品の登場
人物はしばしば家族に対する直接の抗議であると
見られる。
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ロボトミー手術/人間から感情を奪い取る手術
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そんな彼が言った言葉に、幸せになる秘訣は
「嫌なことには鈍感になることだ」と