
その昔、らい病患者は大変な人権侵害を受け
世の中から迫害され、偏見を受けてきた。
ハンセン氏がらい菌による感染症で末梢は変形
するが感染率はあまり高くないと発表してから
も世の理解を受けるまで相当な時間がかかった。
いや、まだその途中だろう。

これは、その患者がひどい迫害を受け隔離され
た記録だ。言葉が出ない、、、
ここで過ごす患者、このような国の恐怖の政策
実態があったことを私たちは忘れてはいけない。
〜〜〜〜〜
偏見は気づかないうちに入り込んでくる、、


世の中の明と暗を知るいい機会になった
グランボレパラグライダーエリアでのフライト

テイク場までのトロッコ列車 ↓
テイク場に上がると突然、女性の方からガイド
の長岡さんですよね、、 と、声をかけられた
あ、はい、大変失礼だったけど覚えていない、
実は何年も前、私のクライミング講習会に来て
いただいたようだ、、
〜〜〜
緊張したせいか、どうか分からないけど彼女
ランディングに失敗してしまい、木の上に引
っかかってしまった。
お手伝いしますよ 大丈夫ですか? わたし
はこの手の専門家なのでいつでも言ってくだ
さい。とは言ったものの彼女は別のビジター
グループで来ていたので、あまりでしゃばら
ない方がいいと思い、それ以上のことは言い
ませんでした。
〜〜〜
写真は彼女の手前 控えておきます、、
昨日ネパールにいるシャルパの友人に連絡した
〜〜〜〜
How are you doing.
It’s such a tragic disaster…
Are you everything OK?
>Our heart is broken by the terrible.
>So many people lives have been lost.
>family,,frends,,house,,everything gone.
~~~~
Natural registers are truly distressing.
Japan has also been disasters recently.
Lt's all do our best!
>BBC news
>https://www.bbc.com/japanese/articles...

自宅にある妹の写真を整理していると
妹がイギリスに行っている時に、家族全員で
音声メッセージをカセットに録音してロンド
ンまで送ったものが出てきた。
金六/祖父、フジ/祖母、隆/父、礼子/母
洋子/おば、などなど
写真はよく見るが、音声は何十年ぶりだろう
とても懐かしい声が聞こえてくる、、
1971年録音とある、この年の10月例のニク
ソンドクトリンが発令されて円が変動相場制
に1973年に移行するので、その前だから円が
1ドル=360円の時代だ、、
しかし、似てるな、


少しずつ、変革を経て良い商品になっていき
ます。良いところは良い、直して欲しいとこ
ろはしっかりと話し合う、
あまり詳しいことは書けないので商品化した
らまた報告します。
期待してくださいね。

写真は前回のものと混じっているけど、同じ
ようなところで、同じような釣果でした。
私が関東大会を制したのは1991年だから
35年も前のこと当時は年間1500〜1600匹
くらい釣っていたが、私はほとんど食べず
漁協に卸すかご近所に食べてもらっていた。



あゆは釣った時、スイカの香りがするので
別名「香魚」ともいう。友釣りといって
おとりの鮎を使って喧嘩させ引っ掛けて
釣るのである、、私はヘラブナも、ブラック
バスも、渓流魚(イワナ・ヤマメ)も、ワカ
サギも、レイクトローリングでサクラマスや
ヒメマスも、ヤリイカも、ヒラメも、カンパチ
やブリワラサなどの青物もマグロもやる。
つまりやらないものが無いくらい、釣りに関し
てはバラエティー豊かだ、皆んな信じられない
というが釣れなくても釣りに行くだけで満足な
のだ。
山は命をかけると死んでしまうが、昔の私、、
釣りはほぼ命をかけて釣っていた気がする。
そうでなければトーナメントで良い成績は
取れない、、
もう少し前になるが、近くのスーパーの配管の
上に燕が巣を作っていた。そういえば、最近は
滅多に燕を見なくなったような気がする。
なぜか、ヒナに餌をやる姿はほっこりとする
ような気分になった。
〜〜〜〜

しかし現実はそうともいえない事が起きている。
たまたま少し餌を取りやすいところに陣とった
ヒナが多めに餌を食べて成長するとほかの雛を
押しのけて食べてしまう。すると余計に体が大
きくなってまた兄弟を押しのけて(実は踏ん
づけて)また餌をぶんどる。力の弱い末っ子は
餌が思うように食べられず、だんだん衰弱して
最後は動かなくなってしまうのだ。
おい、母親は兄弟均等に餌をやれ!
と願いつつも、現実は強いものが育たないと
いずれ絶えてしまうのだそうだ。
〜〜〜〜〜
ヨーロッパに出張すると必ずヨーロッパ通信
なるものを毎日発信する、ブログを書いてい
て時に誰か呼んでくれているのかな、と思う
事がある。以前コメントを受け付けていたの
だけど、関係ないスパムコメントが多く、受
付をやめてしまった。その時カウンターも止
めてしまい、今は誰が見ているのか、何人見
てくれているのか、まったく分からない。
だからこそ ブログ「見ましたよ」
と言われるとこんなに嬉しいことはない。
〜〜〜〜〜〜
今日も用事があって水上に飛びに行ってきた
高崎は午前中雨模様だったけど、みなかみは
時々晴れ間も見せる天気だったのだ。
〜〜〜〜〜
明日は妹の告別式、、
どうも、やりきれない気持ちがあると
飛んでしまうようだ


ロシアのプーチンが北方領土に上陸、
今現在、択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島は
一度も外国の領土となったことがない日本固有
の領土です。第二次世界大戦終了のどさくさ紛
れに当時ロシアの侵攻による不法占拠が今でも
続いています。残念ながら日本はその当時の真
実をあまり伝えたがらないのです。

〜〜〜〜
Now that I’m over 70, many of my
classmates have retired and are
enjoying their free time.
Will I still be working?
Do I even want to?
I asking myself these questions.
〜〜〜〜〜
Two days ago, my younger sister
passed away,
I was shattered by grief.
and I realized I don’t have much
time left.
However,
it’s impossible for me to just sit
around doing nothing.
It's like I want to cling to something...

When I Was a Professor of
International Mountain Guiding.
I can't see the view from there.
Chat GPTでイラストを描いてみた
好きな写真をアップして、これをイラストに
お願いとインプットするだけ、
かなかな正装はないので自撮りしてみた
頭まっ白じゃん、、

これはモンブランかな、60回以上登ったけど
もう行くことはない、、
これもひとえに私を支えてくれたクライアン
トの皆さまとThe North Faceのおかげかな
あれだけ汚して、あれだけすり減らし、いろ
いろなアクティビティにも対応してくれて、、
アパレルを提供してくれているノースフェー
スに感謝!

これは北海道函館の五稜郭に旅行した時
ヒシャブ風に

先週8月7日俳優岸惠子さんが老衰のため亡く
なりました。93歳でした。私との出会いは私
が生後6っか月の時だったので、岸惠子さんが
21歳の時でした。映画「ここに泉あり」で抱
っこされたのがこの写真です。

その後、何度か駅前の砂賀町に店があった時
に仕事の合間に寄ってくれたそうです。
〜〜〜〜
その後時は経て10年以上前に高崎で「ここに
泉あり」が記念上演された時、高崎市が岸惠子
さんを呼び舞台挨拶をしてもらいました。
そのあと、楽屋裏でお話しする機会を設けて
いただき当時の裏話に花を咲かせたのを覚えて
います。

心よりご冥福をお祈りいたします
安らかにおやすみ下さい
〜〜〜〜〜
もう一つ悲しい出来事が、、
わたしの妹が今朝旅立ってしまいました
さすがに今は言葉が見当たりません
もう兄弟喧嘩できないね、、


私がクライミングを教えていて大切なことは
「人と比べない、グレードに拘らない」
「楽しいとき、登りたいときに登る」
とにかく自由に「自分をあまり追い詰めない」
これ尊敬する「里雪」先生の言葉でもあった。
私の場合ほとんどが動的な趣味が多く
このような静的な趣味はとても貴重だ、、
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星月夜さやかに照れり風なぎて波なほ騒ぐ
湖の音 意味は
”風が静まり返った夜にもかかわらず、波が
なおも音を立ててざわめく湖の音”
島木赤彦の短歌
左が里雪先生、右が私、似ているようで
全く違う、、
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これは昨日の課題を仕上げたもの、
墨付けの場所が違うし、、
「いかにせん こぬ夜あまたのほととぎす
またじとおもへば村雨の空」
”ホトトギスが来ない夜が多かったので、
今宵はもう待つまいと思う折節、村雨の
降り出したこの空”
藤原家隆が詠んだ和歌 (新古今和歌集)
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また貴重な時間を過ごさせてもらった
私がこのBMW R-50を買ったのは16才の時だ
家の近くにあったガソリンスタンドで週末や
部活の帰りにアルバイトをして頭金を作り、
どうにか親父に許しをもらい手にしたのだ。

それから56年間色々なことがあった、、
京都の清水寺まで行き三年坂で唐辛子を買い
そのまま日帰りしたことも、、
またある時は首都高で手放しで運転をして、
捕まったこともあった、、
孫を乗せようとして娘に大反対されたことや
夜の碓氷峠で死にそうになったこと、、



みんな大切な良い思い出だ、、
しかし、この年になると何しろ車体が重く取り
回しが大変で、バイクに跨るときも難儀になっ
てきた、、
そこで彼女にも
第二の人生を送ってもらおうと
お嫁に出すことにした、、
まだまだ走るオールドバイク、名残惜しいが
彼女のためでもある。

嫁ぎ先でも 幸せになってね、、