今日は母禮子の命日、一周忌法要
今日10月8日は母の命日でした。まだ蒸し暑つ
さの残る荘厳寺本堂、ご導師様の読経を聴きな
がらあの時のことを考えていた。それは私がヨ
ーロッッパヘ出発するとすぐに母親は体調を崩
し寝込んでしまったのだ。しばらくして病院か
ら連絡が入り「何とか戻れませんか」とのこと
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、、、しばし、葛藤の末、私はお盆前には帰国
しますからそのように伝えてください、と連絡
をした。全力で母親のそばにいてやると心に誓
っていたのに、もしヨーロッパにいる間にもし
ものことがあったら、きっと母は悲しい思いを
するだろうな。などといろいろなことが頭をよ
ぎった。 本当にあの時は断腸の思いだった。
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法要が終わり、ご導師さまの温かいお言葉は
母親が嫁いできて子供が生まれ、家業のスー
パマーケット(当時高崎で初めてのバンタム
スーパーと言われていた)を手伝いながらお
爺さん、お婆さん、小姑、に住み込みが男性
2人女性2人合計11人の大家族だった頃の大変
さの中、ほぼ全て手作りの洋服を着せてくれ
私達を育ててくれた。その苦労は並大抵では
なかったと思うと、誰に聞いたか次々と苦労
話がご導師さまの口から出てきた。
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当時の出産は、まだまだお産婆さんが自宅で取
り上げるのが主流で4人に1人は何かしらの不具
合が起きていたようだ。そんな中私は長男だか
らという理由で無理をして「佐藤病院」で生ま
れたのだ、今は考えられないが周囲から病院生
まれと羨ましがられていたのだ。
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思い出話しを書いていると、長くなってしまう
のでこの辺にしておくが、今日母親の部屋に行
って俳句集を探していると「私の一生」という
本が出てきた。その中には尾瀬に行った時のこ
とも書いてあった。母65歳の時(今の自分)に
一緒に行ったのだ。